みんふのセミリタイアことはじめ

50代でセミリタイア生活に突入しました

【読書】死すべき定め - QOLについてよーく考えてみよう

みんふです

 

最近は、時間返せ!や読み終わっても「どよーん」とする読み物が多かったのですが、久しぶりに読みごたえあり、考えさせられる本に出会いました。

 

それがこちら

 

死すべき定め: 死にゆく人に何ができるか

「死すべき定め」の画像検索結果
現役外科医にして「ニューヨーカー」誌のライターである著者が描く、迫真の人間ドラマ。人生の終盤をよりよくするために奔走した人々のエピソードが圧倒的な取材力と構成力で綴られた本書は、読む者に自らの終末期の選択について多くの問いを投げかけるだろう。終末期をどう生き、最期の時をどう迎えるのか。 ... 
 

インド系の現役外科医が、終末期の医療の在り方や、みとりについて書いた本。アカデミックな語り口で淡々と描いてますが、終末期だけではなく人生全般に思い当たることが多々あって、刺激されました。

 

お父様(こちらも医者)の死という個人的な経験を縦糸に、自分が終末期の患者にたいしての対処がしくじってる感がどこからくるのかをつかむために、数々のナーシングホーム(日本の老人ホームみたいなもんか)やホスピス(在家のもあるんですね)を巡って患者やケアする人の話をききまくってます。

 

近代化の中で、自分もそうですが「自律した自己への崇拝」が主流の考えの中、病気や障害で遅かれ早かれもたらされる自律生活が不可能になったとき、どうすべきなのか?

 

「延命はしていただかなくて結構、先進医療もいまある金で足りないなら施してくれなくていい」くらいのイメージしかもってませんでした。もう人生も半分どころか2/3近く生きてますから。(いや、まだ半分ということならそれはそれで落ち込むなぁ。)

もっと具体的に、手術や辛い化学療法をうけるなら、自分が妥協できる最低限の生活スタイルを決めておかないと。「TVでスポーツ観戦しながら、自分の好きなものを食べられるなら、または自力でトイレにいけるようになるなら、辛い化学療法を我慢する」というようにね。

 

 

ナーシングホームでの「安全」にかたよった運営の結果、「自律」とはほど遠いものになってしまう悲劇。高級老人ホームとか、なんでもやってもらえるからかえって自律から離れてしまいそう。

 

末期がんの患者の中で、人工呼吸につながれたり、除細動器によるカウンターショックや胸部圧迫による心臓マッサージをうけたり臨死状態でICUでの入院治療を受けた人は、そうでない人に比べて最後のQOL (Quality of Life)が悪かった。そして死後6ケ月の時点でそうした治療を受けた患者の家族など介護にあたった人がうつ病で苦しむ割合は3倍に増えていた。(2008年 アメリカ国立がん研究所) 末期の病気のためにICUの中で人生最後の日を過ごすことは、ほとんどの人にとって一種の失敗だ。

介護にあたった人もうつになるリスクが大なんですね。

 

父親がホスピスに入ってから、従来の医療機関とは違うケアによって介助の手を借りながらも歩くのを目の当たりにした著者は、「今を犠牲にして将来の時間を稼ぐのではなく、今日を最善にすることを目指して生きることがもたらす結果」に圧倒されます。

 

これって、リタイアとちょっと似てるよね。QOLがあがるのであれば、ある程度の資金と生活スキルがあればリタイアする価値は十分あるのです。仕事が生きがいの人はそれをつきつめればいいし、そうじゃない人は別の道っていうのも今は許される時代ですもん。

 

とりあえず、自分がフレイルになったときに終末でいいホスピスに巡り合えることを祈っときます。